朝、顔を洗うように。
お湯を沸かしてお茶を淹れるように。
私にとって「花を生ける時間」も、日々の習慣のひとつです。
……と書けたらかっこいいのですが、最初からそうだったわけではありません。
お花を仕事にしていても、忙しさに追われて
「自分のために生ける余裕」がなくなることもあります。
ましてやお花を仕事にする前は、そのような余裕はほとんど持っていませんでした。
ただ、お稽古に行き、その時のお花を家に復習を兼ねて飾るだけで…。
でもある日、お稽古中の私の様子を見た先生が、
「お稽古花がないときは、小さなコップに一輪の草花を生けてみるだけでいいのよ」
と声をかけてくださいました。
早速、お稽古花が切れたときに試してみたら——
部屋の空気が、ほんの少し柔らかくなるのを感じたんです。
花を生けることで整うのは、空間だけでなく、心の中も同じなんだと気づきました。
花は、贅沢じゃなくて、“選択”。
花がある暮らしは、特別なことではなく、
ちょっとした決意の積み重ねなんだと思います。
それからというもの、自宅にお花を欠かすことはほとんどなくなりました。
もちろん、大きさや本数には差がありますが…。
忙しい日でも、ほんの5分。
お花用の器に一輪、生けてみる。
あるいは、お水をかえたり、茎を切り戻したり、角度を調整したり。
その“ちょっとの手間”をかけた時間が、
どこかで自分自身の姿勢や、気持ちにもつながっている気がしています。
日常の中で、当たり前に花と過ごす。
そんな習慣が、私の暮らしを、そっと支えてくれています。
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