こんにちは、伊東 環です。
最近思うのが、
「必死になり過ぎない」ということです。
心地よい時間を過ごすことを意識して始めて思ったことですが、
できないこと、苦手なこと、目の前のこと
この3つに必死になり過ぎていた自分がいました。
今回は、必死になり過ぎて失敗(?)したな、
と思うエピソードを笑える話と笑えない話を1つずつ紹介したいと思います。
目の前の家事など雑事に対して、
部屋は汚くしてはいけない、
部屋は自分を映す鏡、などの思い込みから、
仕事に行く前、仕事から帰ってきたあと、休みの日は1日中、
必死に部屋を掃除し、片付けていた時期があります。
しかも、当時はワンルームマンションに住んでいました。
今思い出すと、どこをそんなに掃除していたんだろう?と思い、
何に憑りつかれて掃除に励んでいたんだろうな、
と笑ってしまいます。
もちろん、汚い部屋、いわゆる汚部屋には、
新しい運気が来ないのでキレイに保つことは、
とても大切なことですが、必死になり過ぎることはないと思います。
もう1つは、笑えない大きな失敗なのですが、
今までずっとサービス業に勤めていたのに、
社会福祉支援事業と、全然ジャンル違いの職場に転職をしたとき、
何十年とやったことがなかった仕事ばかりに、
勘も利かず、次から次へのくる仕事が本当に覚えられるず、
同じことを何度か言われるミスを1ヵ月くらい繰り返していました。
仕事の内容を訊いても、
前のを見て下さい、の一点張りで、
全く要領が掴めず、
質問すれば、質問の内容がズレていると言われてしまう始末。
今では、その時に必死になり過ぎていて、
周りの状況を見れていなかったし、
見ていても、出来ないことを克服しようと集中するがあまり、
認識出来ていなかったんですね。
1ヶ月を1週間くらい過ぎたときに、
ついには、朝礼で「あなたは、発達障害です」と言われてしまいました。
その後、クリニックへ行き、受診をした結果、
発達障害ではなかったのですが、
そのことを伝えても、分かってもらえず、
今でも、発達障害は100%遺伝なので、
私の家族も発達障害です、と言われて嫌な思いをした経験が残っています。
友人はこのことについて、
それだけ追い詰められたんだね、
1ヶ月働いたくらいで、医者でもないのに、決めつけて診断して人前で言うのはありえない、
などと言ってくれましたが、
これは、必死になり過ぎて、
周りが見えず、空気が読めなかった大きな反省となっています。
このように必死になり過ぎると、
いつの間にか、やることが目的になってしまい、
本当に大切な意味が見えなくなります。
また、周りまでもが、見えなくなり
冷静な判断ができなくなってしまいます。
いわゆる、KYですね(笑)。
ここが必死になり過ぎることの大きな落とし穴だと思います。
心に余裕があれば判断できることも、できなくなります。
落ち着いていれば、見えるものも見えなくなります。
だから、自分の視野を狭くしないためにも、
心に余裕を持つためにも、
必死になっても、
必死になりすぎないことを大事に思っています。
今、あなたは必死になり過ぎていることは、ありませんか?
もし、あると思ったら、
一旦、立ち止まって、
少し考えてみて下さい。
周りを見る余裕を持ってみて下さい。
難しいと思ったら、
少し離れた視線で自分のことを客観視するメタ認知を使うことも、
良い方法だと思います。
強気なときは、良いですが、
少し自分が弱っているな、と思っているときは、
特に、心に負担がかかるので、
必死になり過ぎないようにしてくださいね。
最後に、必死になり過ぎると、
後から来る、燃え尽き症候群にも要注意が必要です。
私の経験が、少しでもお役に立てたら嬉しいです。
ありがとうございました。
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